暗闇から誰かが覗いている気がする。そう、あなたの部屋の戸棚の、ちょっとした隙間から…視線があなたを見つめている…。
「それはいたずら妖精の仕業だよ」
現代の魔法使いは軽く笑い飛ばすだろう。だが、その行為こそが原始的な魔法の一つ「名付けの儀式」である…ということはご存知だろうか?
人は夜を恐れ、暗闇から現れる者たちを恐れた。それらには「名前」がなかった。
それは何者なのか。
なぜ現れるのか。
それはどんなものなのか。
人間たちは「よくわからないもの」を恐れた。それらが暗闇からにじり寄り、這いでてくることを恐れたのである。そこで行われたのが、恐れ…恐怖の正体への「名付けの儀式」、原始的な魔法のひとつだったのだ。
誰もいないのに、突然すねをくすぐる感覚がある…それらは「すねこすり」と名付けられた。
宵闇の森の中、暗がりから恐ろしい狼の遠吠えをきいた…それらは「送り狼」と名付けられた。
夜の墓場、うすぼんやりと明るい火の玉がゆらり、ゆらりと浮かんでいる…それらは「狐火」と名付けられた。
これらは東の国で名付けの儀式によって生まれた妖怪たちの話である。だが、不思議なことに、世界各地でも「よくわからないもの、現象」に対して名付けの儀式が行われたのが確認できるのだ。
悪いことが起きるのは悪霊のせい。
腰が痛むのはどこかの魔女の呪いのせい。
誰かが睨んでいる気がするのはいたずら妖精のせい…。
人々は「よくわからないもの」に「名を付ける」ことで、恐怖に打ち勝ってきた。名を付けられたものたちは妖怪として、魔法生物として、あるいは魔法現象として扱われ、恐れられることは少なくなっていった。名前のあるものは(直接触れられなくとも)そこに存在する「何か」である、と定義づけられているからだ。
だが、忘れないでほしい。
人間たちが名付けたのは世界の一部分だけだということを。まだ名付けられていない「得体のしれないもの」が存在することを。あなたを暗闇から見つめる名もなき「何か」を、忘れてはいけない。
「理解したつもり」でそれらに立ち向かうのは賢者ではなく、ただの愚か者なのだから。
「恐れよ! 怖れよ! 畏れぬ者どもは月夜に溺れ、底抜けの闇へと墜ちていくのだ!」
(歌劇フォルトゥーナ第四幕 アン・ターシャ訳より)
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